他者批判

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「汝自身が他人に裁かれたくなければ、自らを裁くなかれ」

始めにこの言葉を聞いたとき、言わんとすることが分かりませんでした。
自分を責めることと、他人を責めることは違うことです。
この真逆の矢印がどう、関係しているのか?

そんな疑問を抱えながら数年・・・、ある日のコンサルテーションのときに理解しました。

クライアントさんは自分を責める傾向はあるが、他人を一切責める人ではありませんでした。
どちらかと言うと、気弱で心に鬱積を貯めてしまう。
人の良さが逆目に出てしまい、自身を傷つけていました。
そんなクライアントさんに立て続けに、3件も出会ったのです。


始めはその方たちの自責傾向をどうして、解消しようか?って、解決策をクライアントさんと一緒に探していました。

話を続けて行くと、3人とも同じキーワードを言っていたのです。
「△△さんが○○をしないから、私が○○した」
とは
「△△さんは●●をするから、□□をしないと・・・」

これらの言葉に共通する点は、他人の行動を一旦、ジャッジ(裁く)してから、自身の行動が決まっていること。
自分の行動の前には、必ず他者判別が入っていることだった。
もし、これが攻撃的傾向があれば、明らかな批判行動として、周りも自分も判別できたでしょう。
しかし、判別内容が他者を気遣う内容であれば、他者を判別していると気が付きにくかった。

その後、3件目のクライアントさんに質問をしてみた。
「何かの決断をするときに、何を基準に判断しますか?」
その方は悩んだまま、答えが出ませんでした。

あんまりにも沈黙が続きそうなので、話題を変え、「Say Yesのトレーニング」の話をしました。
私も昔は他者批判がきつく、同様の自虐に悩んでいたときに、自分を救った方法です。

やり方はいたって簡単。

何かの判断に迷ったときに、自分がしたいと思ったことを「やって良い」と賛成すること。


他者批判が強い人は幼い時に、他者に行動を制限された経験のある人に多い精神的癖です。
大人になっても、その癖が直らずに、他者の判断・行動を材料として行動をする。
それを直すには、判断基準を自分に戻すこと。

そんな人達は他人に「やって良い」と言われるサインを待つ傾向が多い。
サインを待つ傾向を逆に利用し、自分が判断する他者となって「やって良い」と許可を出すことで、物事の判断基準を自分の心に戻すことをする。

気が付けばきっと、自分の行動に自信が持てるようになるでしょう。

その後、クライアントさんは来なくなった。
カウンセリングを受ける必要がなくなったんでしょうね。
私のような人のところには、長々と通わない方が良いんでしょうけど、お仕事としては辛いです。

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