<05>スピリチュアル生活の最近のブログ記事

江原啓之のスピリチュアル子育て

江原啓之のスピリチュアル子育て江原啓之のスピリチュアル子育て
¥1,300円


内容説明

子育てで「本当に大切なこと」は何か-。今、子育てのまっただ中にいる人、これから子育てをする人、教育の現場にいる人、親と子のあり方を考えたい、すべての人へ、画期的な新しい視点を提示。



今までの、自分自身の独身時代、結婚、妊娠、出産、子育てと、
自分が生きてきた流れを、なんだか、回想していく自分がいました。その、一時、一時が、自分にとって、意味があったことだったんだな~なんて。
そして、今、一番の悩みの種の、自分の子供たちの、将来についても、親として、どう、子供にかかわっていけばいいのか・・。
そして、本当に子供がもっている才能を、見つけてあげることを、専念したいと思った一冊です。
勉強ができても、こころ、才能が埋もれたままじゃだめなんだよね。
この本に出会ったことも、もしかして運命?だったりして。
子育て中のママ、パパさんに読んでもらいたい本です。
心が、やさしくなります。



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他者批判

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「汝自身が他人に裁かれたくなければ、自らを裁くなかれ」

始めにこの言葉を聞いたとき、言わんとすることが分かりませんでした。
自分を責めることと、他人を責めることは違うことです。
この真逆の矢印がどう、関係しているのか?

そんな疑問を抱えながら数年・・・、ある日のコンサルテーションのときに理解しました。

クライアントさんは自分を責める傾向はあるが、他人を一切責める人ではありませんでした。
どちらかと言うと、気弱で心に鬱積を貯めてしまう。
人の良さが逆目に出てしまい、自身を傷つけていました。
そんなクライアントさんに立て続けに、3件も出会ったのです。


始めはその方たちの自責傾向をどうして、解消しようか?って、解決策をクライアントさんと一緒に探していました。

話を続けて行くと、3人とも同じキーワードを言っていたのです。
「△△さんが○○をしないから、私が○○した」
とは
「△△さんは●●をするから、□□をしないと・・・」

これらの言葉に共通する点は、他人の行動を一旦、ジャッジ(裁く)してから、自身の行動が決まっていること。
自分の行動の前には、必ず他者判別が入っていることだった。
もし、これが攻撃的傾向があれば、明らかな批判行動として、周りも自分も判別できたでしょう。
しかし、判別内容が他者を気遣う内容であれば、他者を判別していると気が付きにくかった。

その後、3件目のクライアントさんに質問をしてみた。
「何かの決断をするときに、何を基準に判断しますか?」
その方は悩んだまま、答えが出ませんでした。

あんまりにも沈黙が続きそうなので、話題を変え、「Say Yesのトレーニング」の話をしました。
私も昔は他者批判がきつく、同様の自虐に悩んでいたときに、自分を救った方法です。

やり方はいたって簡単。

何かの判断に迷ったときに、自分がしたいと思ったことを「やって良い」と賛成すること。


他者批判が強い人は幼い時に、他者に行動を制限された経験のある人に多い精神的癖です。
大人になっても、その癖が直らずに、他者の判断・行動を材料として行動をする。
それを直すには、判断基準を自分に戻すこと。

そんな人達は他人に「やって良い」と言われるサインを待つ傾向が多い。
サインを待つ傾向を逆に利用し、自分が判断する他者となって「やって良い」と許可を出すことで、物事の判断基準を自分の心に戻すことをする。

気が付けばきっと、自分の行動に自信が持てるようになるでしょう。

その後、クライアントさんは来なくなった。
カウンセリングを受ける必要がなくなったんでしょうね。
私のような人のところには、長々と通わない方が良いんでしょうけど、お仕事としては辛いです。
「自分に思いやりが足りない人ほど 相手に思いやりを求める 
 自分の言葉が 相手を傷つけていないか まず 反省してみること」
            by オーラの言葉(江原 啓之さん?)


「人と接するときは少しの思いやりと、想像力が大切」と、近しい人が始終、言っている。
耳に出来たタコで晩の一品が出来るくらい、聞きタコが出来ている。

仕事柄、人の話を聞くことが本当に多い。
コンサルテーション中に私のしていることは、クライアントさんの立場と、周りを囲む周囲の人の感覚のズレを考えている。

物事を見るときに感情的に見ると、等身大の現実が見えない、と言う現象が起きる。
難しく言うなら、「事実の正確な識別が出来ず、物事が明晰に見えない」てな状態である。
感情が上乗せされて見た現実を、感情を抜きの事実で見たとき、大体の人は周囲の環境に「ごめんなさい」と言っている。
今まで理解できなかったが故に、相手にした行動に対してだ。

思いやりとは、想像力が作る副産物のような物だね、と思う。
感情は心の生理反応のようなもの。
感情と心は、別のところにある。
それは生理反応(感情)と理性(心)は別物である、と似たような意味かな?

想像力が少ない程、相手の立場や状況が理解できず、相手を責めたり・思いやりを求める傾向にある。
他人の行動・態度は想像力のパワーを知る、良いバロメーターみたいなもの。

と・・・理論的に分かっていても、人によっては一方的に自分のことを言う人もいるのは事実。

そのときは相手のために、時と場所を見計らって、怒りを伝えることも大切です。
相手を不愉快な思いをさせて、苦い経験を踏まないと自分のしている行動を理解できない人もいます。
自分の領域を守るためにも、感情のままに行動を起こすことも大切ですね。

それはそれで、相手に自分の行動を省みさせる、良い機会と学びを与えるために必要なことです。

幸せな前世を見ることがあります。
そんなときに、いつも、思うことがあります
「記憶は、そんなに大切なんでしょうか?」
記憶がなくても、立場が変わっても、どんな環境でも、何度であっても愛せる心がある。

それが真の愛ってものなのかな?と・・・…。

本当に深く愛することが出来れば、相手に共有した記憶を求めることはないでしょう。
各代での記憶なんて、想いに左右されるものじゃないでしょう。
それを人はソウルメイト とか ソウルパートナーって、言うみたいですね。

人によっては、それが同年代の異性と限定している場合がある。

それ……、誤解だよ。
ソウルパートナーがね……、親としているときもあるんだよ。
親友かもしれないし、人生で数回しか出会っていないけど、人生の大切なポイントにいることもある。
異性であると思い込んでいると、伴侶となる人を手放してしまうこともある。
言葉と概念に惑わされて、人を愛することに臆病になることもある。
ソウルメイト、ソウルパートナーなんて、魂のお友達って意味だと思う。

現世でも仲が良くても、いつも一緒にいられないでしょ。
転生でも同じことは起きるよ。
パートナーとすれ違う人生もあるだろうね。
でも、仲の良い友達がいないと、幸せではないってこともないだろう。
新しい環境では新しい友達もでき、知り合いも増えるから良いことでしょう。
そして、ソウルメイトは限りなく増えて行く。
長く生きている人は、お友達も多いでしょう。

何度も転生している魂なら、ソウルメイトやソウルパートナーは一杯いるさ。
そんな関係の人を一人と限定するのも、どうかな?って。
色んな人生を旅して、多くの人を愛する。
人が思う以上にソウルメイトやソウルパートナーは一杯います。
その方が人生、多くの愛に満ちているって思いません?

一回の人生では伴侶は、一人が望ましい。
だって、別の人を愛すると浮気になるからね。
でも、別の人生なら浮気にならない。

同じ人生を共にする人なら、色々いた方が良いんとちゃうか?
これは浮気にならないし……、経験は多い方が良いじゃん?
「神様も粋なことするね」って、転生の度に記憶を失うシステムを良いと思います。
覚えていると、おちおち別の人との人生を生きられない。
親に恋したりして、道ならぬ恋を行きそうになることもある。

人生は大きな演劇の舞台って、感じですかね?
幕が変われば、役目も変わる。
同じ役目は、何度も来ません。

たまに思います。
違う性別で生きたいって。
現世でも思うんだから、違う人生なら尚更のこと。

言葉や概念に惑わされずに今、身近にいる人を愛することが大切。
今、愛する人は来世の中では、ソウルメイトと呼ばれる関係と言っているかも知れません。

確実に言えることは今、良くも悪くも自分と関係がある人はソウルメイトです。
だって、腐れ縁ってやつもあるでしょ。
探さなくても近くにいます。
近くにいるのに、なぜ、探すんだろう?

私のもっぱらの疑問です。
最近は占い師さんとも、お仕事をすることがあります。
流行りの中に前世占いってものがあるらしい。
この頃、脳の老化現象で記憶があやふやになることのある私くし。
現世の記憶(例えば、前日の晩御飯の記憶)も怪しいのに、前世なんてとてもだけど覚えられません。

こんな私ですが、コンサルテーション中にクライアントさんの前世を見ることはあります。
しかし、全てのコンサルテーションで、前世を見ることもないです。
そして、前世のことは一切、言いません。

言うことによって、私と別れた後のクライアントさん人生に、変な先入観が入るのが入るのが嫌だからです。
想い出せないのなら、それは知る必要がないことです。
思い出す必要があるなら、私が言わなくても思い出します。

しかし、前世を見るときは、それが現世に確実に影響しているときです。
そして、前世と同じことが現世でセッティングされているときです。
で…、現世で何があったのかを紐解き、繰り返されるループを断ち切ります。
ループを断ち切るのが一応、お仕事なんで、そこんとこはやりますよ。
一発で切れる時もあれば、何回も掛る人もいます。

前世を想い出すときは、切らなければならないくらい、重い因縁があるとき。
私のコンサルテーションを受ける人の大抵は、ネガティブな前世のケースが多いです。
幸せな記憶は来世に必要ないから、思い出しません。
幸せな記憶とはクリアーできた問題だから、思い出す必要がないんですよね。

何回となく、人の前世を見る経験をした者として言えることは、
「前世に振り回されないでほしい。必要なのは現世を誠実に生きること。
今も生きるのが精一杯なのに、前世の責任まで持つなんて考える必要はありません。
確かに前世が現世に影響を及ぼしているケースもありますが、それは現世で解決できるようにセッティングされています」

前世に意識が向いている人に……。

「今を生きることに、力を費やして下さい。
人生は一回きり。
責任を負う能力は、一回の人生を持つ力しかありません」
カルマ返しは、「神様に貸し1」と言うことです

誰が言ったのだろうか?
カルマに良い悪いがあると・・・

仕事柄、この言葉を聞く度に訂正をしている。
どちらかと言うと、スピリチュアル系のカウンセリングをしているので、
この言葉をよく聞きます。

間違いがないように訂正をしておきますが、私は前世の話はしません。
霊も見えません。天使とも話はしません。
何ができるんだって…?、それは内緒。
ただ、私がしているバッチフラワーのカウンセリングはスピリチュアル哲学
に基づいているため、話している内容は江原さんと似たようなことは言うかも?

彼の哲学も、イギリスから来ている部分はあるので、そこの原則は似ている。
ただ、それだけです。


で……、本題。
カルマには良いも、悪いもありません。
カルマとは自分の行動は廻り回って、返って来ることを指しています。
悪いことをすれば、悪いことが返ってくるのは確かです。

が…
良いことをしたら、良いことが返って来ます。

それなのに「悪いことをしたから、懺悔のために同じことを受ける」なんて言う
人を見かけます。
そんなこと、無いんですけど…ε=(・д・`*)。

人は思考の生き物です。
懺悔の想いで物を見れば、あなたの見る世界は殉教者の視線で物が見えます。
もし、あなたが殉教者になりたいなら、その視線で良いと思います。

「でも・・・、悪いことしちゃったんだよ(_ _|||) 」って、ほとんどのクライアントさんが言います。
悪いことの内容にもよりますけど…、大体のケースは反省している段階で自分に起こった
カルマに対して、理解していることになります。
同じことを繰り返さなければ、OKです。

しかし、犯したカルマは返さなければいけない。
これもまた、法則です。

そのときにクライアントさんに言うことは
「神様に貸し1と思って下さい。いつか、神様にした貸しと同じカルマを犯す人と出会います。
そのときに、その人を守る、救う、導く役目に当たるはずです。
同じ罪を犯したあなたには、その人を救うことが出来る。世の中から同じ罪を消しましょう。
それが善行のカルマ返しです。だから、恐れないで下さいね(^―^)」

これが私の知る、真の意味でのカルマ返しだと思います。
生きること自体が間違いと、訂正の繰り返し。
それをするために生きています。

むしろ、間違えて当たり前。大切なのは間違えることを許すこと。
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