2011年6月アーカイブ

「おまえと娘には愛はない」
「こんな家族と解散だ」
などと言う旦那と離婚を考えているとの悩み。

言うこと全てに同意をすれば、家族関係は上手くいくが、反論すると上手くいかない。心の中では別れたいと思っている。
結婚するときから嫁(相談者)には、選択の余地がなく進んだ結婚でもあった。


相談者の場合は結婚して、30年となっていた。
結婚して20年以上有るなら、財産分与も半分は手に出来るので、離婚すれば良いとなんか重~い話を、軽~く話していた。

でも、この相談者サンは口では別れると言うが、実際問題について話すとちょっと引き気味になるんです。

話を進めていくと、
「一人で生きていく、自信がないから別れるのは不安」

そんな人に

「全ての人生は自分で作る物。
 
 自分自身が自立して生きていけるなら離婚。
 自信がないなら、旦那がどんなに横暴なことを言っても文句を言わないことです。
 
 一番いけないのは中途半端。
 文句を言いながら生きるのはダメですよ」 by 江原 啓之


旦那さんは奥さんに「世間知らずだから、一人で生きていけない」とか言っていたんです。
これは一種の洗脳状態にあり、一歩前に足を出す勇気が出なくなっているみたいです。


相談者さんはどんな環境から、嫁がれたのかは分かりません。
もし、勤めることをせずに入られたのなら、旦那さんの言っていることは、半分は合っていると思います。

この言葉には二面性がありますからね。

旦那さんも苛められながら、会社で働いて家族を支えているでしょう。
勤めていると家庭にいるよりも、辛いことは結構あります。
理不尽なことを言っている人とも、笑顔で付き合わないといけないし。
家庭が地獄って場合は、また別の話ですけど。

「世間知らずだから、一人で生きていけない」
(だから、俺が支えないとこいつはいきていけない=自分が守らないといけない)

嫁を守ろうとはしていますね。

でも・・・、でも・・・
相手の心を傷つけるようなことはしてはいけませんね。
「側にいて尽くしている奥さんは、大事にしないといけない」ですね。
愛されていることに、胡座を掻いちゃいけません。

そんな相談者サンに一言ありました。

「離婚も結婚も、自信の選択」 by 江原 啓之

「一緒にいるから良い」とか「別れて一人で生きていくのが良い」とかは、無いそうです。

同居している義親との関係に、悩んでいる人からの相談。

「同居している義親が主人と喧嘩をしたときに、戸を激しい音を立てて閉めたりして、無言の圧力みないなものがあります。
あとは金使いについても、やたらに口を出してきます。
そのため、別居も考えたのですが義父から、家を出るなら親子の縁を切ると言われ悩んでいます」

そんな内容だった。

私は別居をしているので、悩み主のことを言える立場じゃないので、同居は大変だなとしか言えなかったのですが・・・。

回答が以外と辛口だった。


「どっちも、どっちですね」 by 江原 啓之

「そんだけ?」って感じですね。
江原さんに、この手の相談をすると

「僕は大抵は親御さんの見方をするケースが多いです。
 なぜなら、このような場合は年のいった人を変えるのが難しいから。
 若い人が変わるのが、一番です」         by 江原 啓之


それもそうかもしれませんね。

最近の人は共同生活のルールの、作り方を知らない人が多い。
このケースはなにかあったら、ついでに嫁の分も色々、物を買って上げたり、ご飯をご馳走していた。
全く悪い義親ではないみたいです。

相談の内容にはしてもらった良きことは抜けており、不都合な部分だけを言っていたみたいです。
一緒に住んでいれば、良いことも悪いこともある、ってことでしょうね。

義親の言い分は・・・

「金にうるさいのは、息子が頑張って稼いだ、金を大切に使って欲しい」

「大きな音を立てて、戸を閉めたりするのは、決して息子の肩を持つ為じゃない。
 同居人に聞こえるような、大きな声で喧嘩をするなんて、恥を知り慎みなさい」


親の立場で考えていることと、嫁が受けていることとは違ったりもしていました。
上の事が分かると、こっちの言い分も「まぁ、納得」なんて思いますね。
と言っても、喧嘩がヒートアップすると、押さえられないのも現実です。

立場が違えば、考えも違う。
これじゃあ、二つの国の人が住んでいるようなもの。


言葉優しく
「私も未熟者です。教えて下さい」と言おう。

もし、
「なんでも、かんでも聞かずに自分で考えなさい」

「こんなことも知らんのか」

と、きつく感じる言葉を言われたら・・・



とことん、アホ嫁を演じ、笑いながら

「分かりません~。教えて下さい」

と、そのうち、それがキャラクターとなり、上の言葉は無くなるはずです。
苦労はするけど、そんな母親の背中を見て子供は良い子に育ちます。


「苦労して分、子供は良く育つ。逆に楽をすると、悪く育つ」by 江原 啓之

「家を出ることによって、旦那からの恨みを後々、買います。
 そして、したことは自分の子供にされます」  by 江原 啓之

「愛を大事にし、調和を重んじましょう」 by 江原 啓之


でも、難しいですよね。
言われても、簡単には出来ない。
どちらも、同じ人を愛する、違う立場の人間だからな~。

恋敵とはぶつかって、「どっちが良いの」で終わるけど、嫁と姑は違いますよね。
同時に違う質の愛情を、並列の関係で成り立たせないといけない。
それは難しいことです。

虹の橋で

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これは江原さんとは、関係ないです。
前の記事でペットロスを書いているので、参考に載せています。
ご存じの人も多いかも知れませんね。

著作権の関係上、余所のサイトの訳文を載せることが出来ません。
で、拙い語学力を使って、訳をしています。
意訳、誤訳もあるかもしれません。
誤解を避けるため、原文を載せています。

読める人は英語版を読んで下さい。
読めない人は大まかな部分に、間違いはないと思います。
もっと訳の上手い人も居ると思いますので、そこへ行っても良いかと思います。

ただ、なんでこんなことをしたかというと・・・
検索中に訳文を端折っていたり、訳者の主観によってサイトによっては話が微妙に違っていたからです。
難しい部分の訳をせずに飛ばしているものもあったりします。
でも、大筋の流れはどの文も同じです。

こちらの訳も、技と荒くしています。
文章にない部分は( )で表記しています。

滑らかに訳すると、どうしても主観って入ってくる物です・・・。

<AT THE RAINBOW BRIDGE>
<虹の橋で>

Just this side of heaven is a place called Rainbow Bridge.
ちょうど天国の、この世(現世)側の場所を、虹の橋と呼ばれている。

When an animal dies that has been especially close to someone here, that pet goes to Rainbow Bridge.
動物達が死ぬと、どの子も虹の橋に行きます。


There are meadows and hills for all of our special friends so they can run and play together.
そこは牧草地や、丘になっていて、ペット達は走り回りったり、遊んだりしています。

There is plenty of food, water and sunshine, and our friends are warm and comfortable.
そこは十分な食べ物と、水と日の光があり、ペットたちは暖かく、心地良いです。

All the animals who had been ill and old are restored to health and vigor.
病気になったり、年を取った全ての動物は、健康で元気になっています。

Those who were hurt or maimed are made whole and strong again, just as we remember them in our dreams of days and times gone by.
ペットと一緒に過ごした時の夢を思い出したとき、傷ついたペットは再び傷が無くなって強くなっています。

The animals are happy and content, except for one small thing; they each miss someone very special to them, who had to be left behind.
彼らの傍らで、守ってくれていた人が居ない寂しさ。
たった一つのことを除いて・・・
動物達は幸せであり、満足しています。

They all run and play together, but the day comes when one suddenly stops and looks into the distance.
彼らは野を駆けめぐり、仲間と遊んでいる。
しかし、ある日に突然に立ち止まり、遠くを(じっと)見つめます。

His bright eyes are intent.
彼らの目は輝き、一心に見ます。

His eager body quivers.
(再会の感動に)興奮し、しきりに体を振るわせます。

Suddenly he begins to run from the group, flying over the green grass, his legs carrying him faster and faster.
突然、仲間の群から駆けだし、緑の平原を飛び越え、早く、早く駆け出します。

You have been spotted, and when you and your special friend finally meet, you cling together in joyous reunion, never to be parted again.
貴方は(平原の彼方から)小さな陰を見る。
貴方は最愛の友と会ったとき、再会の喜びの気持ちに包まれながら、共にしっかりと抱き合う。

The happy kisses rain upon your face; your hands again caress the beloved head, and you look once more into the trusting eyes of your pet, so long gone from your life but never absent from your heart.
貴方の顔にはキスの嵐が降る。
貴方の手は最愛のペットの頭を、再び撫でる。
かつては貴方の人生から先立ったが、決して貴方の心から消えることの無かった、ペットの信頼しきった眼差しがある。

Then you cross Rainbow Bridge together....
そして、貴方は共に虹の橋を渡る....

Author unknown...
読み人 知らず...
ペットロスとは・・・

ペットロスは文字通り「ペットを失う事」である。ペットを失うと、様々な心身(精神的・身体的)の症状が起こることです。


私も犬や、魚などを飼っています。
飼っていたフェレットを亡くして、ペットロスを体験しています。

飼っているペットがなくなるのは、本当に辛いです。
今、辛い思いをしている人に、私は掛ける言葉はありません。
何も言えないです。
中途半端な慰めの言葉は、その人の目の前で消えるだけです。

散歩をしていると、「家もこの間、見送ったばかりだよ」と愛犬の陰を見ながら、うちの犬を撫でている人をよく見ます。


よく、もう二度と犬は飼いたくないって、言う人がいます。
それに対して


「ペットを飼うことは、ボランティアをすることです。
 いなくなっても、飼える環境があるのなら、もう一度、飼って下さい。
 多くの子を迎えてあげて下さい」        by 江原 啓之


だそうです。

と言うのも、いつまでも飼い主が悲しんでいると、ペットが飼い主のことを思う余りに、成仏せずに残ってしまう。

ペットにはペットの浄土があり、そこへは行かない。


「新しい子を迎えることは良いことです。
 その子は自分が亡くなったことが理解できます。 

 だから、前の子の食器はいつまでも、定位置に置かない方が良い。
 片付けるか、新しい子が来たのなら、その子に使わせるのは良いことです。
 そうすれば、変えるべき場所に帰れます。

 新しい子を可愛がってるのを見て、悲しむとか考えなくて良いです。
 兄弟はみんな、等しく可愛いと言うでしょう。
 どこの子もみんな、等しく可愛い。
 愛情に優劣はありません
 だから、気にすることはない」           by 江原 啓之


ペットの立場になって見ると、飼い主はどう映るのだろう?
そう考えると・・・

体があったときは、顔を舐めたりして気遣うことは出来た。
でも、体が無くなったら、心配をして見ているだけ。
そんなときに、新入りが自分の変わりに精一杯、頑張って愛情を注いでいる。
悲しそうな飼い主も、その子に励まされて笑うようになった。

きっと、そんな新入りに感謝をしながら、その場を去るのではないかな。

さあ、次はどの人と暮らそう。
お試し期間(ペットとしての期間)は終わったし、子が出来ないと泣く飼い主のところに、今度は子供として帰ろうかな。
それとも次のペットとして帰れるように、早く帰って予約をしないと。

なんて、考えているかも知れませんね。


子犬、子猫など、子の付く生き物は、世話に手間が掛かります。
目を離すと、大変なことが起こります。
でも、それって、新しい子と馴染むため、悲しみを忘れるため、神様の粋な計らいかもしれませんね。
悲しみの深い人ほど、手の掛かる子が来たりして、ってね。

本当なら神様も、憎いことをするな~。

伊勢神宮

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「お伊勢さん」「大神宮さん」と親しく呼ばれ、辞書などでは「伊勢神宮」と紹介されていますが、単に「神宮」というのが正式な名称です。

神宮とは、皇大神宮(こうたいじんぐう、内宮=ないくう)と、豊受大神宮(とようけだいじんぐう、外宮=げくう)の総称です。
古くは伊勢太神宮(いせのおおみかみのみや)ともいいました。

皇大神宮は伊勢の宇治の五十鈴(いすず)川上に、豊受大神宮は伊勢の山田の原にご鎮座しています。

この両大神宮の正宮(しょうぐう)には、
・別宮(べつぐう)
・摂社(せっしゃ)
・末社(まっしゃ)
・所管社(しょかんしゃ)
が所属しています。

全てで125の宮社を数え、これらの宮社をふくめた場合も神宮といいます。


・別宮
ご正宮の「わけみや」の意味で、所属の宮社のなかでも重んじられます。
皇大神宮に十所、豊受大神宮に四所の別宮があります。

・摂社
『延喜神名式』(927年)に所載されている社です。

・末社
神名帳にはのせられていないが、神宮の儀式のことをまとめて神祇官へ提出した文献である『儀式帳』(804年)にのせられている社のことです。

・所管社
以上の宮社のほかに、正宮及び別宮の所管の社のことです。


これらの諸宮社は、伊勢、松阪、鳥羽の三市、度会(わたらい)、多気(たき)、志摩(しま)の三郡にわたってご鎮座になっています。


お祭りは、毎年1000以上行われています。
一例を挙げます。

1月1日 歳旦祭(さいたんさい)
1月3日 元始祭(げんしさい) 天津日嗣(あまつひつぎ)
1月7日 昭和天皇祭遙拝(しょうわてんのうさいようはい)
1月11日 一月十一日御饌(いちがつじゅういちにちみけ)
2月11日 建国記念祭(けんこくきねんさい)
2月17日~2月23日 祈年祭(きねんさい)
3月春分の日 御園祭(みそのさい)・春季皇霊祭遙拝(しゅんきこうれいさいようはい)
4月上旬 神田下種祭(しんでんげしゅさい)
4月3日 神武天皇祭遙拝(じんむてんのうさいようはい)
5月1日 神御衣奉織始祭(かんみそほうしょくはじめさい)
5月13日 神御衣奉織鎮謝祭(かんみそほうしょくちんしゃさい)
5月14日 風日祈祭(かざひのみさい)
5月14日 神御衣祭(かんみそさい)
6月1日 御酒殿祭(みさかどのさい)
6月15日 興玉神祭(おきたまのかみさい)
6月15日 御卜(みうら)
6月15日~6月25日 月次祭(つきなみさい)
6月30日 大祓(おおはらい)
8月4日 風日祈祭
9月上旬 抜穂祭(ぬいぼさい)
9月秋分の日 秋季皇霊祭遙拝
10月1日 御酒殿祭
10月1日 神御衣奉織始祭
10月5日 御塩殿祭(みしおどのさい)
10月13日 神御衣奉織鎮謝祭
10月14日 神御衣祭
10月15日 興玉神祭
10月15日 御卜
10月15日~10月25日 神嘗祭(かんなめさい)
11月23日~11月29日 新嘗祭(にいなめさい)
12月1日 御酒殿祭
12月15日 興玉神祭
12月15日 御卜
12月15日~12月25日 月次祭
12月23日 天長祭(てんちょうさい)
12月31日 大祓
毎日 日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうのおおみけさい)


くわしくは、こちら
妊娠中の女性の相談

「妊娠中であるのに、旦那は家事などを手伝ってくれない。
 それなのに自分の両親のことになると、私を置いて出かけてしまう」

そんな内容の相談でした。


「人は言葉の使いようで、良くも悪くもなる」(by江原 啓之)


どうも奥さんの言葉使いに問題があり、旦那さんは動かなかったみたいです。
 
それと旦那さんには「妊婦は大事にする」ってことを、教えてくれない親に育てられたと思い、気の毒だと思いましょうとのことでした。



自分の両親のことになると、妊婦を置いて行ってしまう旦那。

でも、そこで親が「あなたの子供を身籠もっている、嫁を大事にしなさい」って、怒らないところに、親の未熟さが見える、と。

ここでも「人は言葉の使いようで、良くも悪くもなる」が、出てくる。

お姑さんから、お嫁さんに


「○○で来て貰って悪かったわ。あの子が居なかった間、大丈夫だった」

と、電話の一つでも有れば、


相談者も

「いえいえ、構いませんよ。私のことは気にしないで下さい」

って、言葉が出ます。


行動としては同じ迎えに行っただけでも、言い方一つで変わってしまう。

そんなことを言いたかったようでした。


最後に・・・

「旦那の反応が我慢できないようなら生活が出来ません。
 我慢できるかは、貴方の気持ち次第         」 by 江原 啓之


難しい問題ですね。